HSPてことにしよう日記

パニ障とか鬱とか療養いつまで?と途方に暮れていた2020年秋、HSPなるものを知ったから

かかとに愛を。

人は今のままじゃダメだと思っても変われない、今はこれでいいと思うと前へ進めるらしい。だから今の自分を認める自己肯定が大事ですよ、という本を読んだ。

 

勘違いを、していたかもしれない。自信や肯定感なんてキラキラしたもの欠片もねーよ、とすねていたけれど、それはキラキラしたものなんかじゃなくてもっと泥くさくて生々しくてみっともなくて必死なもの、なのかもしれない。

 

と思いついたのはかかとを見て。

 

そういえば20代の一時期、足の裏がすさみにすさんで、正確に言うと水虫で皮をむく癖が治らず、むいてはいけない深みまで皮を裂いてしまい出血、ボコボコになって歩くのも痛かった。その悲惨な足裏は絶対に人に見られたくなくて、素足にサンダルなんて夢物語、当然病院にいって医者の前に晒す勇気も一ミリもなくて、酢がいいと聞いて酢酸の原液に激痛に耐えながら足を浸けたり酢酸を含ませた脱脂綿を足指の間に挟んだりと試行錯誤した記憶がぼんやりある。

 

今ももちろん素敵なかかとではないけれど、いつのまにかボコボコは平坦になっていて、当然歩いても痛くない。血も出ない。へぇー、あれを、あの状態から、何とかしちゃったんだなー私。

 

半世紀。こんな低スペックな自分で、人間関係もろくに築けず恥ずかしい過去をうんざりするほど積み上げ、仕事も半端で何一つ成し遂げてなくて、外見の優位性にも恵まれず、かといって中身はさらにお粗末で、大事な人にも迷惑ばかりかけて恩を受けっぱなし。でもね、それでも諸々を何とかしちゃって今ここにいるわけで。それなりのかかとで。

 

これから先だってみっともなく這いつくばって恥をさらし周囲に迷惑をかけながらも助けてもらって結構何とかしちゃうんじゃねーの私、というぼんやりした自分へのこの信頼を、自信、と言ってあげてもいいんじゃないのか?

 

この私でやる以上何度やり直しても今よりベストはあり得ない、と言い切れるその確信と開き直りを、自己肯定、と呼ぶんじゃないのか?

 

青い鳥じゃないけど、何だ、ちゃんと手元に、あったんじゃん。

 

かかとに愛を注ごうと思う。毎日お風呂でケアをして、風呂上がりだってクリームとか塗って。気づかせてくれたお礼に。この気持ちを、忘れないように。

 

愛。私が実感しえなかった、愛。これが・・・これが愛なのか?

 

あ!すごいことに気がついた!私はインスタグラムという文化に全く共感できず、しくみも興味ないから知らないままだが、時々来ていた知人が持参したスイーツを机に並べて食べる前にパシャパシャ写真に撮っていた。何してんだ?と不思議だったけど、あれは、その瞬間のワクワクとかドキドキとか何かいい感じの気持ちを、忘れないための自分への愛じゃないのか?この気持ちはいつか忘れる、けれど覚えていたいという現在の自分から未来の自分への、愛。すげー。異文化への、理解!!!こういう感じなのかー。へー。と、したためている日記、これもまた未来の自分への信頼の礎としたい愛。